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2016年12月8日木曜日

麻雀界の故人を偲ぶ:安藤満プロ

映画「聖の青春」を昨日見てきた。

http://satoshi-movie.jp/


原作は見たことないのだけど、
将棋はそこそこ好きなので村山聖さんの事は当然知っている。
感想として、派手さはないけれどテンポの良い展開と力強い演技が光った良い映画だったと思います^^
村山さんの将棋にかける思いや棋士の将棋にかける熱い思いを感じる名作でした。見てない人には是非お勧めしたい。
まあ個人的には、谷川さんとの王将戦とか手術明けの丸山さんとの伝説の一戦とか、もうちょい触れて欲しかったかも。
・・・・多分時間の尺的にやむを得ずなんでしょうね。原作では扱われているだろうから読んでみよっと^^;


さてタイトルにもあるのですが、
今日はちょっと麻雀界でもかって一時代を築いた故人について触れてみようかな、と。
故・安藤満プロ


正直今でも現役バリバリの選手の中には、
安藤さんと凄い親交があった人もいるので、僕なんかが書くと薄っぺらいかもなんですけどね^^;

最近の平成生まれのひとたちの中には知らない人がひょっとしたらいるかもですが、
安藤さんは昭和および平成初期の麻雀界に一時代を築いた実力派プロでした。
四回の鳳凰位をはじめとしたタイトルを獲得しており、
そして何より「ツイてない時は普段と逆の打ち方をする」という定石「亜空間殺法」で多くのファンを魅了した方でもあります。

ただ一方で、初タイトル名人位を獲得した1989年に癌宣告をされ闘病生活に入り、
一時は回復をしながらも2004年に食道癌で他界されています。

※細かい略歴はwikiをご参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E6%BA%80


僕自身、安藤さんにはちょっと思い出がありまして。
人生で初めて買った麻雀戦術書が安藤さんの書いた「安藤満の麻雀 亜空間でぽん!!」だったんですね。

当時高校生で麻雀にのめりこんでいた僕は、
友達と毎週末麻雀をしてはひたすら負け続けていた中で、「勝ちたい」と思って寄った本屋でこの本を見つけました。
著書の中には「ペンチャンよりカンチャンを残せ」といったシンプルな何切るも多数あり、それらから色々な基礎知識を学び、
そしてそれ以上に著書後半にあった亜空間殺法、これが実はある意味僕の麻雀プロの原点ともいえる出会いだったんです。

友達との麻雀で負けていたとある日、
「よし、普段鳴かない牌を鳴いてみよう!亜空間殺法の実践をしてみよう!」
と次の半荘にのぞんだのですが、、、、、
「改めて考えるとこれ普段鳴いてるの?鳴いてないの?」
そんな考えが堂々めぐりをする中で、何も出来ずに一日がおわりました。

そしてその日が終わった後に
「そもそも普段鳴いてる基準って何?」
「麻雀をもっと理論的に分析しなきゃ亜空間以前に勝てないんじゃ」
と考えてその日から麻雀戦術の勉強を自分なりに始めたわけです。
、、、まあつまり僕にとって「麻雀研究のきっかけ」として大きな役割を果たしてくれたんですね。反面教師(?)的な形でw


そんな安藤プロがなくなったのが2004年3月、
僕が2003年2月に麻雀プロになった約1年後でした。

当時バイトをしていた渋谷ベガの店長が安藤さんのお見舞いに行った日、
「お大事にとお伝えください」と言ったら、
「多分もう長くない」と言われて、それなりにショックを受けたのを覚えております。
数日後に店長から亡くなった事を聞いた時、「生前に一度くらいお話をしてみたかった」と残念でしたね、、、



さて既述の通り
「安藤さんと凄い親交があった人」というのは今でも現役プロに多くいます。
連盟の方々は勿論ですが、RMUの多井隆晴さん・阿部孝則さん・河野高志さん・藤中慎一郎さんらはその代表格です。

特に多井さんについてよく覚えているのは第九期日本オープン、
この年の決勝戦はたまたま安藤さんの命日に行われました。
そして優勝スピーチにて安藤さんの思い出や教わった事、そして自分の意思について語っていた多井さんを見て、
「一流の意思が一流の後継者に伝わってこうやって競技の歴史は紡がれるんだろうなあ」
と感動し、ちょっと泣きそうになったのを覚えております。


本当に生前一回位お話してみたかった(T_T)
それにつきますね・・・・・・





【オチ】
そんな感動を私に与えたくれた多井さん。

10分後にトイレにて、
「この優勝はAKB9期生をこよなく愛する俺へ神からの贈り物だ。当然賞金は全て次の総選挙に突っ込む。キリッ」
とか言っており、

「俺の感動を返してくれ」
とか思ったのはここだけの秘密。