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2017年3月15日水曜日

今では考えられない日本プロ麻雀協会の歴史⑦ 西高東低と東高西低

内容的に前の投稿からの続きとなります。
宜しければこちらもご参照ください。

http://susumutakenaka.blogspot.jp/2017/03/blog-post_13.html


私が入会した2期、
まだ関西支部は無かったが関西在住協会員は何人もいた。
※現在関西事務局長の一北寛人はもちろんだが、今でも昔なじみの関西勢は協会に何人かいる。

そんな中で当時囁かれたのが「西高東低」という言葉である。
毎回リーグ戦のたびに多くの交通費を出して足しげく東京に通う関西の人達、
彼らの麻雀に対するモチベーションと実力は関東の若手達よりも上だという考えに基づく意見だった。

正直に、これが事実だったか否か?
今となってはわからない。
当時の僕は今よりも更に未熟だった中、周りにいた人達の実力も測れていた自信はまったくない。
よってその真偽ももはや計りようも無いのである。
うーん、、、ただ正直に「気のせい」だった気はしないでもない。
当時の協会の全体レベルは今とはやはり比べられないだろうし、特に根拠無くイメージで他人の実力を語る人もかなり多かった。
その中での評価というのはどうしても・・・・(ry

さて一方でそれから数年後、全く逆の造語が生まれる。
これが「東高西低」である。

4,5期あたりの協会は色々な事情で低迷期だった(いつかこれについても書きましょう)。
その中で関東協会員の間では「自分達の実力を高めて協会の評価を高める」という気風が強くなっていた。
協会員同士の勉強会はもちろんだが、他団体有志との活発的な意見交換を含めて各人がスキルアップを目指し、
それがある程度実を結んできていたのが7期あたりの頃である。

そしてこの考えに影響されて関西協会員も関東の勉強会に時々参加する事になったのだが、ここで明確に出たのが「議論経験の差」だった。
いや私見を書いてしまえば「実力の差」と言っても過言ではなかったかもしれない。

思うにこれは個人の責任ではなかった。
東京に住んでいる人間は上記のように協会員や他団体の人たちとの意見交換にも非常に恵まれた時期であり、多くの場数を経験していた。
麻雀の技術向上にはこういった議論の場、特に「普段自分の所属しているサークル外の視点が異なる人達の意見」というのは結構貴重である。

そういった中でもまれていった関東協会員が何人もいた一方で、この時協会関西にはまだそういった土壌が確立されていなかった。
いうなら「大会を開催する環境を整えるだけでやっと」という状態だったのである。

実際に「協会員同士が議論をする機会なんてあんまりない」という関西若手の意見を聞いて、ちょっとびっくりする事もあった時期だった。
更に言えば、関西の有望な若手が関東に移籍するケースが出ていた事も、その事態に拍車をかけていただろう。

この地域差がうまったきっかけは幾つかあるが
①天鳳を主としたネットにおける麻雀研究者達の出現
→ 彼らを主とした研究の発展および関東との交流活性化
②最高位戦関西を主とした関西における他団体の出現、
→ 視点が異なる人達の意見を聞ける機会の増
といったところが主理由ではないだろうか。
この数年で本当に飛躍的な変化が生まれているのではないかと個人的には感じている。


さて最後に、
東京に30数年在住している僕が言うのもなんだが、
「競技麻雀をしっかり勉強できる地域の拡大」これは個人的に本当に嬉しいし、今後についても期待している。

協会関西支部が出来て10年以上が経つ。
規模や営業利益といった数字ではおそらく関東には及ばないだろう。(お金の話の詳しいとこはぜーんぜん知らないがw)
ただ「関西支部が出来たお陰で発掘できた人材」というのは間違いなく多数存在する。

協会で言えば
男性だったら既述の田内翼や下石戟、
女性だったら水瀬姉妹、米崎奈棋、あたりだろうか。

「地方支部が存在したお陰で発掘できた人材」というのがいるとしたら、
それは支部の大きな功績であり業界にとっても大きくプラスだと思う。

今後関西がより強固な競技地盤を固めて、本来埋もれたままだった人材を掘り起こしていってくれれば嬉しいし、
願わくば九州や北海道にもそういった競技の地盤が発達して、日本全国の「競技に触れる機会が無い地域にいた為に埋もれていた人材」ってヤツがもっと発掘されれば、一麻雀ファンとしても非常に嬉しい。

その基盤が強く固まるのはまだ何年かかるかわからない話なんだろうけど、利益じゃなくて長い目での発展を見た活動が続けられるのを望んでいる。
まあでもやっぱお金は大事だし、この先まだ障害は多いんだろうけど^^;