follow us in feedly このエントリーをはてなブックマークに追加

2017年3月20日月曜日

私見にともなう麻雀プロ紹介その7:坪川義昭

さて今回紹介するのは、
先日結婚を発表した日本プロ麻雀協会のこの男、坪川義昭


http://mj-news.net/mjpro/pd/2016071545482

お相手は同じ協会員の女流プロ、三添りん。
スリアロチャンネルの「お悩み相談室」等でも知れられております。
というか夫より嫁の方が業界ファンからは知名度が高いと思われます^^;


http://mj-news.net/mjpro/pd/2016082648693

さて今日はそんな彼について、
僕の覚えている事を書こうかと思う。

彼が協会に入ったのは第五期、もう10年以上前の事となる。
当時北海道に住む19歳の大学生だった彼は麻雀プロを目指して試験の為に東京にきた。

「どうしても麻雀プロになりたい。合格すれば大学を辞める事も考えている」

まだあどけなさが残る10代の可愛らしい少年がそんな真摯な思いを語る姿を見て、
当時の面接官達はその熱意に喜びを感じ、一方で少々の戸惑いを感じたと聞く。
麻雀プロはけして独立して生計をたてられる職業ではない、彼には是非とも合格してほしいが、それが生活や将来を狂わせることにはならないだろうか、という不安を感じざるを得なかったのが正直な所だっただろう。

結局協会は彼に「大学を卒業すること、それまでは北海道に在住すること」という前提を伝え迎え入れたのである。

それから約二年、彼は大学生をしながらアルバイトをし、リーグ戦の度に上京する忙しい生活をおくる事となった。
年会費に交通費、色々と大変な中でも懸命にプロを続ける彼を見て、多くの協会員が心から応援し、僕も彼が東京に来る度に色々な場に誘ったりした。

その後彼は無事大学を卒業し北海道にて一般企業に就職する。
だた仕事の都合等で一時的にリーグ戦を休場する中、やはり競技プロへの情熱を抑えられず、ついに数年後(今から5年前位)に「麻雀に骨を埋めたい」という気持ちから上京、そしてマーチャオに就職する。
彼が上京したことを聞いたときは「仕事やめちゃったか、、、、( ̄▽ ̄;)」と思いつつも、生粋の競技麻雀愛好家がまた一人東京に増えた事を嬉しく思ったものだった。

思えば、こんな風に一人の青年が長い年月で麻雀を軸に自分の人生を意思決定し形成していく姿を見る機会は、これだけの年数業界にいる僕でもあまり見る物ではない。そういう意味で彼は非常に印象的な後輩の一人である。
そしてその麻雀を通してついには伴侶まで得たわけだから、まさに彼の人生は今までもこれからも「麻雀ありき」なんだろうなあ、と思う次第だ。

2017年3月14日、坪川のそして二人の新たな門出、心からお祝いしたい。
本当におめでとう。






さて、
このまま終わると「坪川=麻雀に人生を捧げてきた真摯な男」みたいになるのだが、
それだと面白くないので違う側面にもちょっと触れておこう。

彼は既述の通り19歳で協会に入った。
そのあどけなさが残る可愛らしい容姿、北海道から来る真摯な姿、そして物静かな普段の態度は当時の先輩達、特に女流に大人気であり協会内のアイドル的存在だった。

たとえばある日、彼がヤングジャンプの水着グラビアを見ていると、先輩女流がいきなり雑誌を取り上げて「よしクンはこんな物読んじゃダメ!」と言ったほどである。
実際に僕も彼の事を「麻雀に真摯で他には特に趣味も無いのかなあ」とか思っていた。

しかしある日の事だった。
リーグ戦後の飲み会で彼をカラオケに誘った時に事件がおきる。
その時も彼はおとなしく端に座り何も歌って居なかった。「こういうお祭り騒ぎは苦手だったかなあ」と連れてきた事をちょっと申し訳なく思った位だった。
、、、、が、とある女流が入れたアニソンが流れた瞬間、いきなりあいの手を入れて彼が踊りだしたのである。
そこには今までのイメージを全てぶち壊す位の姿があった。

それ以来色々な所で彼はそのアニオタっぷりを発揮。
気付いたら彼は、最初の「可愛い」というイメージから、すっかり「アニオタ」になっていた。
そして数年後に上京した際、彼は「アニオタ」からすっかり「ももクロオタ」になっていたのである。

可愛い → アニオタ → ももクロオタ

思えば、こんな風に一人の青年のイメージが長い年月で変化していく姿を見る機会は、これだけの年数業界にいる僕でもあまり見る物ではない。そういう意味で彼は非常に印象的な後輩の一人である。

おしまい